ミズノプロジェクト 振り返り


ミズノさんとのプロジェクトを終えて、
その過程で感じてきたことをまとめておこうと思います。


〈日常に敏感になる〉

プロジェクトを始めるに当たって、私は愛着の正体を明確にしようとしました。
日常から、愛着ってこういうことかなぁ。と考えるようになりました。
今までの生活と比較すると、日々起こる出来事により敏感になり、日常に刺激が与えられているのが心地よくなりました。

今まで踏み潰してきた雑草を、丁寧に摘み取って
匂いを嗅いでみたり食べてみたりすることが、
新しい発見を生むんだなぁと感じました。

小麦粉にお塩と水を加えて、
足で踏んずけて新しい食べ物を作ろうとした人は
きっと、今あるモノの可能性を潰さないように小麦粉の新しい仲間を増やしてあげよう。ってうどんを作ったんでしょうね。

生活の中で、存在するものを敬うという気持ちが
日常に敏感にさせるのだと思います。


〈どこまででもいける〉

プレゼンの内容を詰めようとすればするほど、
すごく哲学的な考え方になっていきました。
何かを考えるときには、まずその言葉の意味を調べて
こう書いてあるけどこうも捉えられるかもしれない。
と、言葉の表の顔を疑い、裏の顔まで感じ取ろうとするようになりました。

私が過去に感銘を受けた哲学者は、
「哲学とはあたりまえを疑ってみること」だと言っていて、
疑うことを実践してみて学者になったような気持ちでいました。

言葉が持つ本来の意味や文字で表されたものだけを
見ても、その言葉を使う人の奥底の感情までは理解できないし、使う人によって言葉の価値が変わることを知りました。

諦めさえしなければ、
考えはどこまででもいけるんだと思いました。


マズローの欲求階層説〉

チームでプロジェクトを進めて行くうちに、
わかりやすいね。だとか、それもいいね。だとか
自然とお互いを認め合う言葉が飛び交うようになりました。
私は、そういう人と人との思いやりや、その言葉を受けて嬉しくなったり安心したりする人の感情を、芸術的にも感じるようになってしまいました。

このプロジェクトに自分を乗っ取られたような状態で、
ふと、マズローの欲求階層説が浮かんできました。


こんなふうに頭をフルに使って日頃から考え続けていれば、着実に自己実現欲求に向かって「なりたい自分」になれるのでは?とか。
このまま行けば、自己実現の欲求も満たされて自己超越の領域まで達することができるのではないかとか。

キモイことを考えていました。


〈なりたい自分〉

今までの私は、「人に気をつかう」生き方をしてきました。10歳の頃にこのままの自分じゃだめだ。と思ってからずっと、周りの目ばかりを気にしてきました。


これからは、「考える」人生を送りたいと思っています。
私に染み付いてしまった「気をつかう」習慣は変えられないかもしれないけど、
「気をつかう」という言葉にも「考える」ことをすれば
違う意味や価値を与えられるし、そこに限界はありません。


幼い頃から母が言っている
「勉強すれば、なりたいとおもったときなれるものの幅が広がる」という言葉は、そういう限界を私に決めさせないための言葉だったのかなと思います。

「考える」ことで、その幅を広げられるようにしたいです。