考えきれない哲学


前回に引き続き、差別感情について考えました。
今回は、哲学対話でした。

2つの問いについてグループで考えていったのですが、「そもそも差別ってどこまでの領域をさすのか」から話し始めなければわからない状況になってしまって、中々答えを導き出すことができませんでした。

改めて、自分自身で考え直してみたいと思います。

(問1)なぜ、われわれは「あなたは差別している」と言われたくないのか。

そもそも、差別しているって言われたくないのかなぁ?と思ってしまって、すごく考えるのが難しかったです。

なぜ、そもそもーと思ってしまったか。それは、
差別はいけないこと。みんな平等の権利を持っている。とこれまでさんざん教えてもらってきましたが、それと同時に差別をすることはごく自然な行為であると感じてきた自分が居るからです。

差別をしていない人なんていなくて、仮にいるとするならその人は普通じゃない特別な人なんだろうと思います。

差別をするのが人間で、差別という感情、行為は自然なもので。反対に差別をしないほうが感情に欠けているというか、人間ではない何かみたいな。。。

差別は良くないことだとはわかっているんだけど、
差別をしたいと思っているわけでもないのに
自分の中から差別感情がなくならないことも知っていて。差別をしていない普通じゃない人だと思われたいわけでもなく、、といってもどちらかというと普通の人間でありたいから差別をしている人と思われたくないわけでもないような。。。

なんだか本当に訳がわからなくて
問いについて考えることができずにいます。

でも、いくら自然な感情だったとしても確かに差別をしていることって後ろめたくなりますよね。それはなんでだろう?ってことですよね。。。
うーん。
特別になりたいんですかね。
本当は、普通とは違う特別な存在になりたいのかも?

差別している普通の人間じゃなくて、
差別していない普通じゃなくて、特別で、たぶん、いいひとに。

(問2)差別をしたくない場合、どうしたらいいか。

あるいはそもそも差別をしてしまっても仕方ないことなのか。だとしたら、なぜ世の中ではかくも「差別はいけない」と言われているのか。


◽︎差別をしたくない場合、どうしたらいいか。

今まで考えてきたことから言うと、
とにかく普通じゃなくなればいいんじゃないかなと
思います。😰じゃあ、そもそも普通ってなに?ってなっちゃうけど、少数派になるというか、人とは違うことをとにかくやってみて多数派の人と違う価値観を育ててい くとか。自然じゃない、人工的な自分になるとか。。。

私は、自分の中の差別感情を消したいと思うし
差別をしない人間になりたいと思っていましたが、
こうやって考えてみると人間の感情って、本当の自分じゃ無くなる以外消せないんじゃないかなと思ってきました。


◽︎なぜ、世の中では差別はいけないと言われているのか。

それは、世の中が平等ではないからだと思います。
みんな平等だと世界が言っても、国が言っても、先生が言っても、誰も実際に平等に扱われてきた経験なんてないし、どこかで劣等感を抱いてきたから。逆に、優越感を得てきたから。
だから、自分を差別しないように、人を差別しないようにルールを設けようとしているんだと思います。
本当は平等ではなくても、みんな違ってみんないいということをわからせるために。